写真と時間と

今回はちょっと毛色の違う話を…。ちょっとレポートチックになるかも?

 

写真は時間への挑戦であり、捉え方によっては時間を冒涜していると言えよう。

写真のシャッタースピードは、私の場合、基本的に1/100~1/500秒である(カメラとしては1/2500以上まで早くなったと思う)。時間は刻々と変わり、ある一瞬が完全に再現されることなどない。しかし、写真はその時間を僅か1/100秒単位で切り取り、固定化を図ろうとする試みである。たしかに数分にわたって露出する撮影技法もあるが、それでさえ流れる「時間」のなかでは僅かな一部分にすぎない。このような、試みを時間への挑戦と言わずして何と言うべきであろうか。

移ろい続ける時間の中で、その一部を固定化するという行為であるという性格は、写真撮影の持つ難しさの原因の一つだろう。絵画もある種似たような性格を持つが、絵画はその制作時間という性格上、写真ほど時間の一瞬を切り取る性格は濃くないと言えよう。

同じ場所で同じ被写体を撮影するにせよ、光の加減や空気感は変化する。その中で切り取りたい一瞬を見つけたり、その一瞬を待ったりするという行為に加え、その一瞬で撮りたいように撮ることが難しさはイメージできるだろうか…。

逆にここに写真の大きな喜びも存在する。人物撮影は、光といった要素以外に表情等も露骨な要素として存在する(この表情は顔だけではなく、後ろ姿等も含む)。精神状態等にも大きく左右される表情を見つけ/引き出して撮ることができた喜びは言いようのないものだ。

 

写真の「一瞬を切り取る」という性格は、時間への挑戦であることは先に述べたとおりである。この扱いを間違えば時間への冒涜にもなり得るのは語るまでもないだろう。

 

ここまで述べて、写真に興味がある方で未だ経験したことがない方は身構えてしまったかもしれない。しかし、大したことではないのだ。あなたが「撮りたい」と思った一瞬は、二度と訪れない。だから本気で「撮りたい」ときには丁寧に撮る。これだけの話なのだ。